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  マグサイサイ賞受賞、マハビール=プン、ヒマラヤ保全協会ネパール会長に聞く -ネパール山村僻地に未来をひらく-

 2007年7月31日、ヒマラヤ保全協会ネパール会長のマハビール=プン氏が、アジアのノーベル賞と言われるマグサイサイ賞を受賞しました。ネパール山間僻地にワイヤレス・インターネットを普及させ、山村奥地を世界につなぐことに成功したことが高く評価されました。ヒマラヤ保全協会では、川喜田二郎名誉会長についで二人目の受賞となりました。
 このたび、授賞式出席までのおいそがしい合間をぬって、ヒマラヤ保全協会事務局長の田野倉が同会長にインタビューをしました。授賞式は、フィリピンのマニラで8月31日に開催されました。


田野倉:このたびは、マグサイサイ賞の受賞おめでとうございます。
マハビール:ありがとうございます。
田野倉:マハビールさんの長年の努力がみとめられた結果だとおもいます。マハビールさんの仕事で、私が特に注目するのは、マハビールさんの着眼力のするどさです。時代の潮流と現場の状況を的確にとらえて、ポイント(急所)を見事についていらっしゃる。しかも、理想や夢だけをのべているのではなく、着実に実現可能なことにとりくんでいらっしゃる。時代の潮流を踏まえての村の状況と、世界の中での村の位置づけを踏まえたうえで、ここぞという急所をついていくマハビールさんの実践方法については、私も大いにまなんでいきたいとおもいます。
 さて、こまかいことで恐縮ですが、マハビールさんは、いつどこでお生まれになったのでしょうか?
マハビール:1955年1月22日に、ネパール・ミャグディ郡ナンギ村で生まれました。
田野倉:そのころのナンギ村の環境はどんなでしたでしょうか?
マハビール:ほとんどの人々が、ほとんどすべての土地で農業に従事していました。食べるものはすくなく、とてもまずしい環境でした。学校は7年生までしかなく、教科書はまったくありませんでした。
田野倉:今のナンギ村からは想像できないですね。今日のナンギ村がいかに発展したかがよくわかります。学校ではどんな生活をしていましたか?
マハビール:村には電気もなく、学校にはこれといって何もありませんでした。教科書もなかったので、私たちは、先生から直接まなぶしかありませんでした。先生の言葉が外部からの唯一の情報源でした。こんな状況でしたので、子供のころは学校でまなぶだけで、これといって将来についてかんがえていたことはありませんでした。
田野倉:マハビールさんは、その後、さらに上級の学校に進学されたとうかがっておりますが、上級の学校へはどのようにして行きましたか?
マハビール:ナンギ村は7年生までしかおしえていませんでしたので、8年生は、ちかくの村のマンラージ村(ベニからナンギに行く途中の村)の学校で学びました。私の父は、さらに上の教育を私にうけさせたいという希望をもっていました。そのため、家族とともにチトワン(タライ平原)に移住し、9年生と10年生をそこの学校でまなびました。当時は、山間地からタライ平原に移住し、同地を開拓する人々がたくさんいました。さらにその後は、カトマンドゥに一人で行き11年生〜12年生をまなびました。12年生を修了してからは、チトワンにもどり先生になり、11年生と12年生の生徒をおしえていました。
田野倉:その後、アメリカに留学されたそうですが、それはどのような経緯で実現できたのでしょうか?
マハビール:なんとか留学したいとおもい、チトワンの郡長さんをたずねて、留学について相談し、留学できそうな大学を一生懸命さがしました。運良く、アメリカのネブラスカ大学が見つかり、留学できることになりました。ネブラスカ大学では、教育学とビジネスをまなびました。このときに、ネパールの将来のためには、わかい人たちの教育がもっとも重要だとおもいました。
田野倉:マハビールさんにとって、アメリカ留学はかなり重要な出来事だったようですね。この貴重な経験を踏まえて、ネパールに帰国してからはまず何をしましたか?
マハビール:教育こそが重要だという認識のもとで、一大決心をしてナンギ村にかえり、学校で8年生の生徒を一生懸命おしえました。
田野倉:その後は?
マハビール:当時、川喜田二郎先生の指導のもとで、ミャグディ郡ですばらしい技術協力事業をおこなっていたヒマラヤ保全協会の事業に参画しました。ナンギ村では、森林保全事業や、収入向上事業としてはジャム製造・養鶏・キャンピングなどにとりくみました。1997年には、ヒマラヤ保全協会ネパールの創設に参画し、理事になりました。当時の会長はスニール=セルチャンさんでした。1998年からは、コプラ(標高4500mの近隣高地)でヤクの放牧事業を開始し、同時に同地にキャンプ場をつくりました。2001年には、スニール=セルチャンさんのあとをうけ、ヒマラヤ保全協会ネパールの第2代会長に就任しました。
 また、ナンギ村の学校に9〜10年生、その後11〜12年生の課程をつくり、学校を高等学校にまで拡充しました。
田野倉:今回のマグサイサイ賞受賞のもっとも重要な理由になったワイヤレス・インターネットの建設はその後なのですね。そのあたりの経緯について聞かせてください。
マハビール:ネパール帰国後も、アメリカに行く機会がたまにありました。そのときに、インターネットの急速な普及ぶりをみて、ネパール山村でもインターネットを普及すれば大きな効果があるとかんがえました。そこで2002年から、外国人の友人の協力をえて、ワイヤレス・インターネット事業を開始しました。インターネットによる情報の交換は、物資の移動などとはちがって、山間僻地であることの不利益をこうむりません。世界の情報化がすすむほど、ネパールのような山間僻地の未来はあかるくなります。今回のマグサイサイ賞受賞では、山間僻地を世界につないだとう点を高く評価していただきました。
田野倉:非常にすぐれた着眼だとおもいます。まさに、時代の潮流とマハビールさんの人脈(ネットワーク)をいかした夢のある事業ですね。実は私も、マハビールさんのワイヤレス・インターネットをつかってネパール山村から日本にe-mailをおくったことが何回もあります。「今日はナンギ村にいます。明日はアウラ村に行きます」などと送信したら、日本の友人はびっくりしていました。今では、マハビールさんにメールをだすとすぐに返信がきますね。日本の知人にメールを出したときよりも、はるかに早く返信がきたりして、そのことを聞いた友人が「ネパールの方がはるかに進んでいるな」などと言ってわらっていました。ワイヤレス・インターネットのさらなる普及を大いに期待しています。
 さて、今回のマグサイサイ賞受賞についてはどのように感じていますか?
マハビール:大変うれしいです。ただ、私よりも、友人の方がはるかによろこんでいます。ネパール政府もよろこんでいます。とてもありがたいことです。
田野倉:マハビールさんの人脈の大きさを感じます。ところで、インターネット事業以外ではどのようなご苦労がありましたか?
マハビール:収入向上プログラムです。ネパール山間僻地では現金収入がないことが最大の問題になっていますが、これはなかなか解決することができません。今でも、このプログラムを継続し、村のサポートをつづけています。そのほかに、印象にのこった出来事は特にありませんが、何事もシンプルにやるように心がけています。
田野倉:マハビールさんの今後のプランを聞かせてください。
マハビール:第1に、ワイヤレス・インターネットができる地域を、ネパール山間僻地にどんどん拡大していきます。第2に、コプラのキャンプ場をさらに充実させ、ツーリストも宿泊できる、コミュニティ・ロッジを完成させます。建設はすでにはじまっています。同時に、コプラを拠点にエコツーリズムを展開します。第3に村に職業学校をつくり、わかい人に手に職をつけさせ、収入が得られるようにします。その他に、ネパール紙の製造販売をすすめたり、小規模水力発電所の建設も計画しています。ネパールに平和がもどったので、これらの事業の実現が見えてきました。
田野倉:壮大な計画をお持ちですね。しかも、ひろく何でもやるということではなく、山村の問題の核心を見事についていらっしゃる。マハビールさんの事業の中核には「ネットワーク」ということがあるようですね。こらからの進捗がとてもたのしみです。
マハビール:そうです。村にとって何が必要であるか、問題の核心をつくことが大切です。
田野倉:最後に、ヒマラヤ保全協会の日本の会員の皆さんに一言どうぞ。
マハビール:みなさん、ナマステ(こんにちは)!長年にわたり、私たちを支援してくださり、本当にありがとうございます。私たちは、これからも継続的に、今のべたようなプログラムをおこなっていきます。苗畑運営や森林保全も、今後、こまっている他の山間僻地にあらたに展開していきます。今後とも末永く、ヒマラヤとネパールのためにご支援ご協力をよろしくおねがいします。
田野倉:本日は、長時間にわたり貴重なお話しをありがとうございました。今後のますますのご活躍を大いに期待しています。

(2007年8月22日、ヒマラヤ保全協会ネパール事務所にて)

マグサイサイ賞
(The Kathmandu Post, September 1, 2007)

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