ネパール・ヒマラヤ・国際協力

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  1985年、ヒマラヤの氷河湖の一つ、ディグ・ツォ湖が決壊した

 1985年、ヒマラヤの氷河湖の一つ、ディグ・ツォ湖が決壊したときには、下流の水力発電所や橋が破壊され、農地や住宅が流されて、少なくとも20人の命がうばわれました(注)。

 (注)「迫りくる温暖化の驚異」ナショナル ジオグラフィック日本版 特別編集版、2007年。

  河口慧海の日記はフィールド・ノートでもあった

「慧海の日記はフィールド・ノートでもあった」(注)。河口慧海は、動植物の現地名、特徴を克明に記録し、低地の二毛作と高地の夏単作を観察し記録し、同じチベット人でも、土地によって女性の髪飾りの名称がことなることもメモしました。
 河口慧海が、ネパールからチベットにこえたのは1900年でした。その100年以上も後の2004年に、第1回旅行の日記が姪の宮田恵美氏の自宅で発見されました。
 河口慧海は、フィールドワークの先駆であり、ヒマラヤの地域研究にも大きく貢献しました。
 川喜田二郎(ヒマラヤ保全協会創設者)は、1953年、58年、63〜64年のネパール現地調査報告で、慧海から多くの箇所を引用しました。
 『季刊民族学』119号(財団法人千里文化財団)には、「河口慧海の道」が特集されています。2004年に発見された「河口慧海日記」を第一線の研究者が克明に読み解き、多数のカラー写真とともに紹介しています。謎につつまれていた河口慧海の足跡の全貌をつかむための好著となっています。

(注)『季刊民族学』119号, 2007年(財団法人千里文化財団)

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